史上初。東大が入試に「計算問題」を出題した理由。世界最高峰の問題を生み出し続ける東大入試に隠された葛藤に迫る。

(株) 花まるラボ 川島 慶

2月25日、今年も東京大学の前期日程二次試験が行われ、3月10日に、合格発表が行われました。

日本の最難関として君臨し続けるその入試問題。中でも数学の入試問題には、脈々と流れる伝統と、世界に誇るべき美しさがあります。大学入試時点における数学のレベルでは、ハーバードをはじめとする世界の名だたる名門大学を遥かに凌駕しています。

今年はそうして常に最高峰の問題を生み出し続けてきた東京大学の歴史上、大きな出来事がありました。理系二次試験の大問6題のうちの1題で、その史上初めて、純粋な「計算問題」が出題されたのです。

これは、近年易化している印象を持たれている東大入試数学の象徴ともいえる出来事であり、そこには、入試を取り巻く様々な背景や、出題者の葛藤を見てとれます。
 
このあたりについて、過去60年分以上を遡り、東大入試数学とその奥深さを味わってきた者として、お話したいと思います。

学びの本質を質す、「誠実な難問」。

東大が一貫して求めてきたもの。それは、「正しい理解」に主眼を置いた学習です。同校の入試では、一見、複雑で難解、見たこともないような問題が出題されます。しかし、これらの問題は、本質を正しく理解していれば、極めて自然に解ける、「誠実な難問」とでも呼ぶべき、正当な厳しさを伴った良問なのです。

こういった問題は、本質的な理解を犠牲にして、解法・パターンを丸暗記する「努力型」の「パターン学習」をしてきた受験生にとっては成果の表れにくい問題です。

今年の問題から、第3問の例を紹介します。

この問題は、受験生の誰もがはじめてみるような問題だったことでしょう。また、多くの受験生や読者が、この問題を見た瞬間、「難しそう」と感じたはずです。実際、多くの予備校のサイトでも、この問題は、「難」もしくは「やや難」という難易度評価がされています。
 
しかし、この問題は、中学の学習範囲である「XY平面における一次関数」を、三次元空間に自然に拡張できるセンスを持っていれば、実は、中学生でも解ける問題です。

文章量が多く、また、問題で求められている状況を、三次元空間、特定の二次元平面で適宜認識していくことは容易ではないですが、求められている知識は、ごく基本的な知識であり、決して奇を衒った出題ではありません。

また、受験生や、この問題を過去問として学ぶ未来の受験生のために、発展的な課題やメッセージが問題の中に意図的に散りばめられているのも、同大学の入試の特徴の一つです。
本問でいえば、「pは4より小さいこと」が条件として与えられています。専門的なので詳細は割愛しますが、この条件を意図的に使わずとも、正答に至った受験生がいるかもしれません。

ではなぜこの条件が与えられているのか。読者の中で興味のある方は、是非考えてみてください。こういった「隠されたメッセージ」については、一昨年の東大入試に関する記事(こちら)でも触れています。

第4問、第5問、第6問も、それぞれ整数、極限、実数係数の4次方程式の本質理解に焦点が当てられた、素晴らしい問題でした。

史上初の「計算問題」、その裏にあるもの。

さて、翻って、第1問です。東大の二次試験で、史上初めて、純粋な計算問題が出題されたのです。

この背景には、数十年間にわたる、東大入試問題の出題者と、受験産業・受験システムとの戦い、出題者の葛藤が横たわっています。
 
大学側は、知識の詰め込みによる対策だけでなく、それらの知識を未知の課題に応用できる力を持った学生を集めたいので、かつて出題されたことのないような「目新しい問題」を毎年出題しようと腐心しています。

また、その問題設計には、学習者が、彼らの未来も含めて、「正しい理解」と、学問の醍醐味である「知的躍動」に主眼を置いた学習がなされていくためのメッセージとなるように、深い配慮がなされています。
 
一方で、一部の塾や学校は、毎年問題の傾向を徹底的に分析し、できるだけパターン化して生徒に学ばせることで合格実績を上げようと、本質的な学習とは逸れた指導が展開されてきています。

本質的な理解がなくても多くの問題に適用できるような解き方を生み出すと、生徒からのウケが非常によく、そういった評判は直接、塾、学校の生き残りにも影響するため、年々、そうした「便利な」解法は、生まれ続けています。

そして、そうした「便利な」解法をあてはめられないような問題を大学は腐心して出題する、こういった戦いが繰り広げられてきました。

パターン学習の果てに。「目新しい問題」とのバランスとジレンマ。

大学側にとって難しいのは、多くの生徒がそうした学習をしてきている中で、それを適応できないような「目新しい問題」ばかりにバランスを振りすぎると、受験生の得点が正規分布せず極端に分断され、選抜試験としてバランスのとれた「ふるい」として機能しなくなってしまう、といったジレンマが常に存在することです。

他教科とのバランスもある中で、一部の数学が非常に得意な生徒が、他教科を含めても著しく有利になる(逆も然り)ということが起こってしまうからです。

こうした観点から、パターン学習や「便利な」解法で解ける問題も出題せざるを得ず、数十年にわたり、一定の割合でそういった問題も出題され続けてきました。それがここ数年非常に顕著になっており、近年、東大入試が簡単になっているという印象を持たれているのは、ここに起因します。

そして今年、ついに単純な計算問題が出題された。これはこのトレンドのひとつの到達点であったと、筆者は感じます。

私たちに何ができるか:子どもの学びを、一生を彩る糧となる、知的な躍動に溢れる時間とするために。

入試システム自体の是非や功罪はさておき、東大や京大の数学入試問題には、個人的には重要文化財レベルと思えるほどに趣深く、価値ある問題が溢れています。その水準は世界でも突出しており、世界に誇るべき日本の文化と言えるでしょう。

学校でも、予備校でも、本質を捉えて、知的躍動を引き出すような素晴らしい授業をされている方はたくさんいます。また、近年は、YouTubeや個人サイトで、東大入試の解説をする方も増えてきています。

これはとても良い流れで、単純な解説だけでなく、どう問題を味わうか、その問題が生まれた背景に思いを馳せ、問題の味わい方を発信できる大人が増えていけば、きっと数学本来の面白さ、奥深さに気付く子どもや生徒は増え、東大入試で単純な計算問題を出題せざるを得ないような寂しい状況は、少しずつ良い方向に向かって行くと思っています。

子ども・生徒の学びに関わる大人は、彼らの有限で貴重な時間が、一生を彩る糧となる、知的な躍動に溢れる時間に変わり、その本来持っている可能性が引き出されていくためのサポートをしていくことこそが、大切だと考えています。

素晴らしい問題やそうしたサポートによって、感性や考える力、新たな課題を作り出す力を引き出された子どもたちは、きっと私たちや世界をあっと驚かせるような、新しい時代を創っていくことでしょう。
 
私自身は、学びに関する体験やコンテンツを生み出す立場として、子どもたちの知的躍動を引き出し、考えることが好きでたまらなくなるようなものを生み出し続けていきたいと思っています。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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川島 慶

代表取締役 COO(チーフクリエイティブオフィサー)ワンダーファイ株式会社
東京大学大学院工学系研究科修了。算数・数学好きが昂じて学生時代よりベストセラー問題集「なぞぺ〜」の問題制作に携わる。2007年より花まる学習会で4歳から大学生までを教える傍ら、公立小学校や国内外児童養護施設の学習支援を多数手掛ける。2014年株式会社花まるラボ創業(現:ワンダーファイ)。 開発した思考力育成アプリ「シンクシンク」は世界150カ国250万ユーザー、「Google Play Awards」など受賞多数。2020年にSTEAM領域の通信教育「ワンダーボックス」を発表。算数オリンピックの問題制作に携わり、2017年より三重県数学的思考力育成アドバイザー。